箱根登山鉄道


やれ猛暑日だ、熱中症だと連日の報道で、老人はどうすれば良いの?とオロオロ暮らしておりますが
手慰みに、先日出かけた箱根の登山電車の車窓風景を並べてみました。
箱根湯本駅を発車間際の、氷河特急風に塗装されたサン・モリッツ号に間に合い
運転席の後ろに陣取って写しましたが、ゆっくり走行の登山電車でもブレブレで上手に撮れません。
紫陽花が一番綺麗だった大平台付近では見惚れるばかりで、シャッターを押す暇もあらばこそ。
と云った訳でピンボケ写真の羅列で恐縮ですが、老婆の暑気払いと思し召しご寛容にご覧下さい。
一枚目の写真は小涌谷駅に下りてきたあじさい電車(ベルニナ号)です。



箱根湯本発車


出山の鉄橋から見る吊り橋


二つのトンネルに挟まれた出山の鉄橋 


カーブにさしかかると


後ろの車両が見えます。



スイッチバック




強羅駅到着


ついでに・・・
箱根登山鉄道とスイスレーティッシュ鉄道は姉妹提携しており
サンモリッツ駅ホームには、箱根登山鉄道寄贈の「サン・モリッツ」と片仮名で書かれた銘板が掲げてありました。
強羅駅入り口でも同じものが見られます。


強羅駅で                                       
 

サンモリッツ駅ホームで


サンモリッツ


ラントヴァッサー橋を渡る氷河特急




朝霧の 八重山越えて 霍公鳥 卯の花辺から 鳴きて越え来ぬ



   万葉集 巻10−1945 (夏の雑歌)



朝霧の山々を越えてホトトギスが、卯の花のあたりを鳴いて越えて来ました。



ウツギ


もう10日以上経ってしまいましたが、箱根湿生花園を散策した日の花の様子です。
連日の暑さにゲンナリして、箱根に涼みに行こうか〜とたまに利用する強羅の宿を検索すると、明日、明後日空室あり。
ならば早速と翌日ふらりと出かけました。
強羅ではやや蒸し暑さを感じたのですが、仙石原まで行くと高原気候で、ひんやりとした空気が心地よかったです。
既にサンショウバラの花は散り、湿原の夏の花が少しずつ咲き始めており、池のアサザが見頃でした。
林の中にはササユリがちらほら。イノシシの害から身を守り、よくぞ咲いててくれました。


例年ですと6月には「青いケシ」が見られるのですが、昨年秋の北海道を襲った度重なる台風で生産者が被害を受け
仕入れが出来なかったそうで、今年は展示がありませんでした。


一枚目の霧の写真は朝霧ならぬ真昼の霧ですが、その霧にしっとりと咲く花の写真を並べてみました。
この日の仙石原は、咲き残りのウツギの花があり、ホトトギスがしきりに鳴き、まさにこの歌のような夏の情景です。



ササユリ


オオバギボシ


アサザ


スイレン


エゾミソハギ


ムラサキモメンヅル


ホザキシモツケ                           


シモツケ 


エゾキスゲクガイソウ


シナノナデシコ


ヤナギラン、クサレダマが咲き始めました。
 



マツモトセンノウ                             
 


センジュガンピ


キツリフネ


ハンカイソウ咲く散策路


風に吹かれて ノハナショウブ


ゆり




筑波嶺の さ百合(ゆる)の花の 夜床(ゆとこ)にも 愛(かな)しけ妹そ 昼も愛しけ



   万葉集 巻20−4369  上丁(かみつよぼろ)大舎人部千文(おほとねりべのちふみ)




筑波山の百合の花のように、夜床でも愛しい妻は、昼も愛しい。



大舎人部千文  常陸国那賀郡(茨城県)の人。天平勝宝七年(755)二月、防人として筑紫に派遣される。

ゆる、ゆとこ、は東国訛り。


←昔写した筑波山です。





山百合がそろそろ見頃かも、と衣笠山公園に行ってみたのですが、ちょっと早かったようで。
それでも山百合が多く咲く斜面の辺りは甘い香りに満ちていました。
花は五分咲きといったところで、中に、形はヤマユリなのに、赤が際立つ一株が
斜面の上の方に咲いているのが目に入りました。
はて? あの色のヤマユリは見たことないな、 園芸種が交ざっているのかな?
公園管理の方に尋ねたら、「あれはクチベニヤマユリと云いますよ」 とのことでした。
自然に咲いた変わり種だそうです。
普通の良く見る山百合より、斑点の量が多くて赤く見えるのですね。
もう一株、遠目には真っ白に見えるのがあったので写して確認したら、赤い斑点が少なく
花弁の中央の黄色い線の色が、普通の花より薄いのが分かりました。
へぇ〜山百合にもいろいろ個性派があるのね〜〜目から鱗が一つポロリと落ちたような?



クチベニヤマユリ


微妙に色合いが異なる二輪


遠目には真っ白に見えた色の薄い花




この日の森の歌い手は、鶯に画眉鳥(ガビチョウ)、時鳥、小綬鶏(コジュケイ)、
そこにホイホイホイと三光鳥(サンコウチョウ)が仲間入りして野鳥の五重唱。
鳥の声を楽しみながら歩く目線の先に、すっと茶色の小鳥が飛んで来て、石の上に止まりました。
あの色はもしや・・・写して大きくして見たらやっぱりガビチョウ。 ピンボケでも撮れて嬉しい!


ガビチョウ  目の周りから目じりにかけて白い隈取りがあります。


ヒメジャノメ


ルリタテハ


モンシロチョウとキアゲハ
 


トウグミ


ヒメコウゾ


オカトラノオ
 


この日は夜から雨の予報が出ていて東京湾は霞んでいました。



←ユスラウメの実

衣笠山公園散策



湿度が低く爽やかな日に衣笠山公園まで散策に出て、遊歩道沿いの見頃の紫陽花を写してきました。
まごまごしている間にもう一週間経ってしまいましたが、ま、こんなのはいつもの事です。


紫陽花の花は今でこそ人々に持て囃され、人を呼ぶために沢山植えて名所化された所は随分賑わうようですが、
その昔、私の母などは、この花を余り好まなかったような記憶があります。どうしてでしょう?
地味な色が時と共に移ろう様子に薄気味悪さを感じたのでしょうか。


言問はぬ 木すら紫陽花 諸茅らが 練(ねり)の村戸に あざむかえけり


大伴家持も詠んでいます。
3、4日前の朝日新聞天声人語」に
「もの言わぬ木にも、アジサイのように色の変わる信用できないやつがある━ 万葉集にはそんな歌すらある。」
とありました。昔の人にはそんな印象を与える花だったのかもしれません。
今や紫陽花は色も姿もさまざま、品種改良されて美しさ、愛らしさ、豪華さを競い、人々を惹きつけています。
衣笠山公園には特に珍しい品種は見られませんが、水分不足気味ながら、それなりに色とりどり目を楽しませてくれました。



 








この日の森の木々の上に、ホトトギスは トッキョキョカキョク としきりに叫び、ガビチョウ、鶯の美声の共演。
足元の笹薮では チョットコイ、チョットコイ とコジュケイがけたたましく呼び立てます。
ガサゴソと気配がするので目を凝らすと現れた二羽のコジュケイ。やっとカメラに捉える事が出来ました。(^_^)v


コジュケイ


アカタテハ


ホタルブクロ


オカトラノオ


ヒルガオ


山百合が一株開花


トウグミ


《叫び》 なクスノキ



東京湾 対岸は君津の工場地帯


ずいぶん緑が深くなった散歩道でした。

青葉楓  称名寺にて

     



いかにして この一本(ひともと)に時雨れけん 山に先立つ庭のもみぢ葉 
         

            藤原為相




上の写真は、横浜市金沢区にある称名寺金堂前の、能「六浦(むつら)」所縁の、周りの山々が紅葉しているのに
この一本は青いままだったと言い伝えられる「青葉楓」です。
と云っても、これは謡曲史跡保存会がイメージとして植えた木のようで、傍に駒札も立っています。
・・・あれ? 以前見たのと違う! 前はヤマモミジのような楓の若木だった。
あの木は枯れちゃったのかな? それとも、あの木は紅葉するので植え替えたのかな?
実は、以前植えられていた青いモミジを初めて見た次の秋、ホントに紅葉しないのか確認に出かけたことがあって
そしたらその木は普通に色づき始めていて、これでは看板に偽りありだわね、と余計なお世話な心配をしたのです。
今あるこの大きな葉の楓は何と云う種類の楓なのでしょうか? 本当にずっと青葉のままなのでしょうか?
また秋に確認しに行かなくては (*^_^*)


能「六浦」を私は三度は見ている筈なのですが、さて、どんな物語だったかな、と考えると、はっきり思い出せないくらい
とても淡白なあっさりした曲で、軽やかな明るい序の舞の、脳も体も安らぐような心地よい感覚だけは覚えています。
能「六浦」について、私が生半可にあれこれ述べるよりも、専門家の解説に如くは無し。
下記サイトが分かりやすいですので、ご興味がありましたらご参照あれ!


銕仙会 能楽事典
http://www.tessen.org/dictionary/explain/mutsura



10年前に写した紅葉し始めた「青葉楓」




金沢山称名寺は金沢北条氏の祖、北条実時が別邸に造った持仏堂を草創とし、子の顕時(あきとき)が堂塔を建立、
孫の貞時が苑池を備えた七堂伽藍を完成させた。その後、鎌倉幕府と共に金沢北条氏が滅ぶと寺も衰退し、現在の諸堂は江戸時代の再建。
有名な浄土式庭園は、昭和53年から発掘調査し、称名寺絵図に基づいて反橋と平橋を復元、62年に鎌倉時代の姿に甦らせた。


称名寺絵図


赤門


仁王門


 


反橋から金堂


金沢八景の一つ、「称名の晩鐘」として知られる梵鐘


釈迦堂


隧道を抜けると金沢文庫。北条氏の蔵書や称名寺に伝わる文化財などの収蔵、展示。


鎌倉時代の隧道。ず〜っと昔、ここ通ってたような気がする。


阿字ヶ池


咲き残りのキショウブ                    
 


色づき始めた紫陽花


裏山の尾根道にヤブヘビイチゴ                 
 


アキノタムラソウ


称名寺背後の市民の森、八角堂広場から横須賀方面


八景島方面


よく晴れてサラリとした日曜日に金沢文庫散策に出ました。
足弱なツレには池の畔で待ってて貰って、称名寺の三方を囲む山の、市民の森と呼ばれる尾根道を歩いたら
近頃は歩く人が少ないのか草茫々で獣道のような箇所があったり、急な階段が続いたりしてそれは大変!
老婆が一人で歩く道ではありませんでした。
以前は人がいっぱい歩いてて、展望台は明るくて、ちっとも大変だと思わなかったのですが・・・
これも年寄りの冷や水でしたかねぇ〜(^_^;)

かきつはた




常ならぬ 人國山の 秋津野(あきづの)の 杜若(かきつはた)をし 夢(いめ)に見るかも



                           万葉集 巻7−1345



    人国山のあたりの秋津野の、たおやかに咲くかきつばたを夢に見たのです。







18日、福島県いわき市にある、願成寺 白水阿弥陀堂を拝観して参りました。
天気予報と睨めっこして、やや安定したお天気が二、三日続く様子に、行くなら今でしょ、と老夫婦のお出かけです。
事前に阿弥陀堂の案内をあれこれ調べますと、ここの浄土庭園の夏の古代ハス、秋の紅葉の情報ばかり。
でもって花は期待せずに行ったらば、なんと! カキツバタが美しく池の畔を彩っているではありませんか♪
5月もこんなに綺麗な花が咲くのに、何で宣伝しないのかなぁ? 勿体ないなぁ。


国宝に指定された簡素な阿弥陀堂には、阿弥陀三尊像と持国天多聞天
ようやくお会いできました〜と阿弥陀さんをしげしげ眺めておりますと
「はい、ではここでご説明いたします」 と突然声が!
おや、お堂の隅にお坊様が座っていらっしゃる。暗くて気が付かなかった。
藤原清衡の娘 徳姫が、岩城国守 岩城則道に嫁ぎ、永暦元年(1160)3月この地に願成寺を建立。
夫の没後、冥福を祈って阿弥陀堂を建て浄土式庭園を造ったこと。、
お堂の造りや、華やかだった装飾のこと、仏像のこと、奥州平泉の泉の字を分けて白水という地名になったこと
など簡単に話して下さったのでした。


阿弥陀堂を辞して浄土庭園を廻っているうちに、俄かに雷雲が空を覆いゴロゴロと鳴り始め、雨もぽつりと落ちてきました。
朝の天気予報では所により雷雨と云っていましたから仕方ないのですが、何もこんな時に予報当たらなくてもいいのに。
次第に雨は激しくなり、本坊や山の坊のお参りは諦めてバス停の時刻表を見たら、次のバスは1時間後。ゲ! そんな!!
雨宿りする場所も無さそうだし、どうしよう・・・と顔を見合わせていると、奇跡的に空のタクシーが通りかかりました。
これも阿弥陀さまのお引き合わせでしょうか。南無阿弥陀仏・・・









卯の花




   卯の花の 咲く月立ちぬ 霍公鳥 来鳴き響めよ 含(ふふ)みたりとも


                                       万葉集 巻18−4066  大伴家持


   四月一日、久米廣繩(くめひろのり)の館で宴の席での一首です。






いつも通る道沿いの藤の花が咲いている崖の下の方は、落石防止のコンクリートが吹き付けてあります。
そのコンクリートの壁も今や大きなひび割れが走り、その割れ目からウノハナが育っていて花が咲き始めました。
割れて落ちるコンクリートの防護用フェンスの網目から写してみました。買い物帰りの夕暮れ時です。
この日は例によって遠回りの買い物散歩。コンクリートの隙間から、元気に逞しく咲いている道端の花をあれこれ写しました。


連休中は行楽の人出の様子をTV、新聞などで見聞きして、世の中ワサワサと大変なんだなぁ、とため息交じりに静かに過ごしたのでした。


ホトトギス、去年は5月31日と6月16日に鳴く声を聞きました。
今年はいつ頃来て鳴いてくれるのでしょうか。楽しみです。



崖の上の藤の花


アカバナユウゲショウ


ウシハコベ


ハハコグサ


ハルジオン


コウゾリナ


ニラ


ナガミヒナゲシ


モリムラマンネングサ? タイトゴメ?


ゲンペイコギク


アメリカフウロ


マツバウンラン


昨日、息子の車で「くりはま花の国」のポピーを見に行きました。
部分的に満開になった場所もありましたが、見頃はこれからが本番のようです。
森の中の遊歩道沿いに栃の花が咲いておりました。




「くりはま花の国」のアルバムです。