いかにして この一本(ひともと)に時雨れけん 山に先立つ庭のもみぢ葉
藤原為相
上の写真は、横浜市金沢区にある称名寺金堂前の、能「六浦(むつら)」所縁の、周りの山々が紅葉しているのに
この一本は青いままだったと言い伝えられる「青葉楓」です。
と云っても、これは謡曲史跡保存会がイメージとして植えた木のようで、傍に駒札も立っています。
・・・あれ? 以前見たのと違う! 前はヤマモミジのような楓の若木だった。
あの木は枯れちゃったのかな? それとも、あの木は紅葉するので植え替えたのかな?
実は、以前植えられていた青いモミジを初めて見た次の秋、ホントに紅葉しないのか確認に出かけたことがあって
そしたらその木は普通に色づき始めていて、これでは看板に偽りありだわね、と余計なお世話な心配をしたのです。
今あるこの大きな葉の楓は何と云う種類の楓なのでしょうか? 本当にずっと青葉のままなのでしょうか?
また秋に確認しに行かなくては (*^_^*)
能「六浦」を私は三度は見ている筈なのですが、さて、どんな物語だったかな、と考えると、はっきり思い出せないくらい
とても淡白なあっさりした曲で、軽やかな明るい序の舞の、脳も体も安らぐような心地よい感覚だけは覚えています。
能「六浦」について、私が生半可にあれこれ述べるよりも、専門家の解説に如くは無し。
下記サイトが分かりやすいですので、ご興味がありましたらご参照あれ!
銕仙会 能楽事典
http://www.tessen.org/dictionary/explain/mutsura
金沢山称名寺は金沢北条氏の祖、北条実時が別邸に造った持仏堂を草創とし、子の顕時(あきとき)が堂塔を建立、
孫の貞時が苑池を備えた七堂伽藍を完成させた。その後、鎌倉幕府と共に金沢北条氏が滅ぶと寺も衰退し、現在の諸堂は江戸時代の再建。
有名な浄土式庭園は、昭和53年から発掘調査し、称名寺絵図に基づいて反橋と平橋を復元、62年に鎌倉時代の姿に甦らせた。
称名寺絵図
金沢八景の一つ、「称名の晩鐘」として知られる梵鐘
隧道を抜けると金沢文庫。北条氏の蔵書や称名寺に伝わる文化財などの収蔵、展示。
鎌倉時代の隧道。ず〜っと昔、ここ通ってたような気がする。
咲き残りのキショウブ
裏山の尾根道にヤブヘビイチゴ
八景島方面
、
よく晴れてサラリとした日曜日に金沢文庫散策に出ました。
足弱なツレには池の畔で待ってて貰って、称名寺の三方を囲む山の、市民の森と呼ばれる尾根道を歩いたら
近頃は歩く人が少ないのか草茫々で獣道のような箇所があったり、急な階段が続いたりしてそれは大変!
老婆が一人で歩く道ではありませんでした。
以前は人がいっぱい歩いてて、展望台は明るくて、ちっとも大変だと思わなかったのですが・・・
これも年寄りの冷や水でしたかねぇ〜(^_^;)