勝鹿(かずしか)の真間の娘子(おとめ)の墓を過ぐる時、山部宿禰赤人の作る歌一首并せて短歌
古(いにしえ)に 在(あ)りけむ人の 倭文幡(しつはた)の 帯解きかへて 伏屋(ふせや)立て 妻問(つまどひ)しけむ 葛飾(かづしか)の 真間の手児名(てごな)が 奥つ城(おくつき)を こことは聞けど 真木の葉や 茂りたるらむ 松が根や 遠く久しき 言のみも 名のみもわれは 忘らゆましじ
吾も見つ人にも告げむ 葛飾の真間の手児名が奥津城処(おくつきどころ) 巻3−432
葛飾の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ手児名し思ほゆ 巻3−433
昔、この辺りにいたと云う人が、倭文幡織(しつはたおり)の帯を解きかわし、伏屋を作って妻問いしたと云う、葛飾の真間の手児名の墓はここだと聞くが、真木の木の葉が茂っているせいだろうか、松の根が長く延びているように時が永く経ったからであろうか、その墓は見えないが、手児名の話だけでも、名前だけでも、私はいつまでも忘れないであろう。
反歌
私も見た。人にも語って聞かせよう。葛飾の真間の手児名の奥つ城どころを。
葛飾の真間の入江で波にゆれる玉藻を刈ったという手児名が、慕わしく思われます。
「真間の手児奈」の物語は、今の千葉県市川市真間に伝わる伝説です。
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手児奈という美しい娘に複数の男性が求婚し、争いも起こりました。この事を苦にした娘が入水してしまうというお話です。
同じような話が、神戸市東灘区に「処女塚伝説」として伝わっていて、謡曲「求塚」は、その[菟名日処女(うなひおとめ)]の物語を題材にしています。
* 手児名の(な)は(奈)の字をあてる方が多いようですが、私が参考にしている古い「古典文学大系」のこの歌は(名)の字になっていますので、そのまま使いました。
5月24日の国立能楽堂「友枝昭世の会」で、「求塚」を観て参りました。
シテ 友枝昭世
ツレ 内田茂信 大島輝久
ワキ 宝生閑
ワキツレ 高井松男 則久英志
アイ 山本東次郎
小鼓 鵜澤洋太郎 太鼓 柿原崇志 笛 一噌仙幸
地謡 友枝雄人 狩野了一 長島 茂 金子敬一郎
粟谷明生 粟谷能夫 香川靖嗣 出雲康雅
私は「求塚」を観るのは初めてで、このような物語がどのように演じられるのか、とても興味がありました。
その感想は、ど素人には、ただ凄い!としか言いようのない、見応え十分の素晴らしい舞台でした。シテ、ワキ、囃方も地謡も一体となって息もつかせぬ力演でした。
能が終わった瞬間は、見所からは身じろぎも、しわぶきも聞こえず、清々しい空気が張り詰めました。満足まんぞくで能楽堂を後にしたのでした。
狂言は山本東次郎さんの「伊文字」。これまた素晴らしく、楽しい狂言でした。
国立能楽堂中庭
国立能楽堂のサツキ