難波宮 (なにわのみや)



冬10月、難波宮に幸しし時に、笠朝臣金村の作る歌一首
押し照る 難波の国は 葦垣(あしかき)の 古(ふ)りにし郷と 人皆の 思ひ息(やす)みて つれもなく ありし間(あひだ)に 績麻(うみを)なす 長柄(ながら)の宮に 真木柱(まきはしら) 太(ふと)高敷きて 食國(おすくに)を 治めたまへば 沖つ鳥 味經(あじふ)の原に もののふの 八十伴(やそとも)の男(を)は 盧(いほり)して 都なしたり 旅にはあれども
  万葉集 巻6−928   


反歌二首
荒野らに 里はあれども 大君の 敷きます時は 都となりぬ
  巻6ー929


海少女(あまおとめ) 棚無し小舟(おぶね) 漕ぎ出(づ)らし 旅のやどりに 楫(かじ)の音(と)聞ゆ                               巻6−930



神亀2年10月10日 聖武天皇難波宮行幸された時の歌です。

 難波の国は、古びてしまったところだと、人々が皆忘れて気にもしないでいましたが、天皇は、難波の長柄の宮に立派な真木の柱を立てて、国をお治めになりますので、文武百官は、味経の原に仮りの家を設けて都を作りあげました。旅先ではあるけれども。

反歌
1.この里は荒野だけれど、天皇がおいでになると、立派な都となったことです。

2.海女乙女が、棚無し小舟を漕いで出かけるらしい。この海辺の宿りに、櫓の音が聞こえてくる。


難波宮について詳しくはこちらをどうぞ            


難波宮



大極殿基壇


基壇の礎石


ちょうど1年前、大槻能楽堂での観能の機会に恵まれ、いそいそと大阪に参りました。
公演は午後からでしたので、午前中は大阪城をブラブラし、近くなので、難波宮跡を通り抜けて能楽堂まで歩きました。
通りすがりに数回シャッターを押しましたが、もう少し丁寧に写して来れば良かったナと後悔しています。


付録 大阪城の富士山