鎌足稲荷神社




内大臣(うちのおほまへつきみ)藤原卿、采女安見兒(やすみこ)を娶(ま)しき時作る歌一首


われはもや 安見兒得たり 皆人の 得難(えがて)にすとふ 安見兒得たり



万葉集 巻2ー95   藤原鎌足



私は安見児を妻にしたよ。誰もが妻にする事が難しいという安見児を妻にしたよ。








お天気の良い日に、久しぶりの鎌倉散歩に出かけました。
さぁて、今日はどこを歩こうかな〜
鎌倉駅の改札を出ますと、目の前にちょうど太刀洗行きのバスが停まっています。あれに乗ろう!
泉水橋でバスを降り五大堂明王院にお参りのあと、滑川沿いの小路をあちらに曲がり、こちらに戻りしながら鎌倉駅に向かってぶらぶら散策の午後です。
道中、桜は未だしっかり咲いていて思いがけなくお花見散歩が楽しめました。
明王院から浄妙寺の門前まで来て、そうだ! この裏山の稲荷社から景色を眺めよう、石段登れるかな、と取り敢えず行ってみますと立派な手すりが備えてあって、ウン、これなら大丈夫!と勇んで登りました。
この稲荷社は、かの大化の改新で名高い藤原鎌足が鎌槍をここに埋めたという言い伝えがあり、一説には、それが鎌倉の地名の由来と云われています。祠の傍にその由緒を記したプレートがありました。昔はこんなの無かったような気がする・・・?
そんなこんなで今日は鎌足さんが嬉しそうに詠んだ安見児の一首にしました。








大織冠(たいしょくかん)藤原鎌足公は乳児の時、稲荷大神さまから鎌を授けられ、以来、常にお護りとして身につけ、大神さまのご加護を得られました。大化元年(645)、中大兄皇子(後の天智天皇)らとの協力のもと蘇我入鹿を討って大願を成就された鎌足公は、翌大化2年(646)東国に向かわれ、相模国由井の里に宿泊されました。その夜、「あなたに鎌を授けて守護してきたが、今や入鹿討伐という宿願をなし遂げたから、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」との神告があり、お告げのままに鎌を埋納し、祠を営んでお祀りしたのが、当神社の始まりです。鎌倉の地名は鎌足公が鎌を埋納したことによるとされています。
「お稲荷さま」というとキツネをイメージする人もいますが、キツネは稲荷大神のお使いであって、稲荷大神そのものではありません。






稲荷山浄妙禅寺山門


浄妙寺の佇まい、ゆったりとした大屋根の本堂が心を穏やかにしてくれます。




本堂の縁に寄り掛かって眺める衣張山。好きな風景です。



5年前、境内で「鎌足桜」と名札が下がった八重桜を見ました。
今年は名札がありませんでしたが、位置的にこの木かな、と蕾を写しました。


5年前に写した鎌足


スミレと諸葛菜




浄妙寺参道の桜