楡・にれ


ハルニレ                  撮影場所 市川市万葉植物園



乞食者(ほかひびと)の詠(うた)

おし照るや 難波の小江(おえ)に 廬(いほ)作り 隠(なま)りて居る 葦蟹(あしがに)を 大君(おおきみ)召すと 何せむに 吾(わ)を召すらめや 明(あきら)けく 吾が知ることを 歌人と 吾を召すらめや 笛吹きと 吾を召すらめや 琴弾きと 吾を召すらめや かもかくも 命(みこと)受けむと 今日今日と 飛鳥(あすか)に至り 立てども 置勿(おきな)に到り 策(つ)かねども 都久野(つくの)に到り 東(ひむかし)の中の門(みかど)ゆ 参納(まい)り来て 命(みこと)受くれば 馬にこそ 絆掛(ふもだしか)くもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡(にれ)を 五百枝(いほえ)剥ぎ垂り 天光(て)るや 日の気(け)に干し 囀(さひづ)るや から碓子(うす)に舂(つ)き 庭に立つ 碓子に舂(つ)き おし照るや 難波の小江の 初垂(はつたり)を 辛く垂り来て 陶人(すゑひと)の 作れる瓶(かめ)を 今日行き 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ 腊(きたひ)賞(はや)すも 腊(きたひ)賞(はや)すも

   右の歌一首は、蟹の為に痛みを述べて作れり。


                        万葉集 巻16−3886 



難波の江に仮屋を作って隠れ住むこの葦蟹(あしがに)を、大君がお召しになるという。何でまた私をお召しになるのだろう。そんな筈はない。それは私がはっきりと知っている事だのに。歌うたい、笛吹き、または琴弾きとして私お召しになるのだろうか。ともかくも仰せを承ろうと、飛鳥に着き、置勿(おきな)に着き、都久野に着き、皇居の東の中門から参内して承ってみると、馬にこそ絆をかけ、牛にこそは鼻縄をつけるものなのに、牛馬でもない私をつかまえ、この片山のもむ(にれ)の皮を沢山剥いで吊るし、日光に干し、から臼で搗き、庭に立てた臼で搗いて、難波江の初垂りの濃い塩をを辛く垂らして持って来て、陶工が作った瓶を、今日行ってはすぐ明日持って来て、私の目に塩をお塗りになり、腊(きたひ)を御賞味なさいます。腊(きたひ)を御賞味なさいますことよ。


葦蟹について


ハルニレの小さな赤い実


アキニレ


隅田川で見つけた蟹