清見の崎



廬原(いほはら)の 清見の崎の 三保の浦の 寛(ゆた)けき見つつ 物思(も)ひもなし


 田口益人(たぐちのますひと) 万葉集 巻3−296

                


廬原の清見の崎から見渡される三保の浦の、ゆったりと、広々とした海を見ていると、もの思いなどなくなります。


廬原(いほはら)はこの辺りの旧地名



上野国司(かみつけのくにのみこともち)に任ぜられた田口益人が赴任の途上、駿河清見の崎で詠んだ歌です。
和銅元年(708)、政情のゆきづまりや社会不安の高まり等で、都が藤原京から平城京へ遷都することが決まり、お役人の大異動が行われました。そして益人さんは上野国群馬県)へ転勤になったのでした。政情のゆきづまり、社会不安・・・何だか今の世相と同じですね。身につまされます。


清見の崎とは、現在の静岡市清水区興津にある清見寺下の海岸のことで、清見潟と呼ばれ、風光明媚な所だったようです。古代には清見ヶ関という関所が設けられ、交通の要衝として知られていました。
かねてより、どんな風景なのかしら〜?と気になる場所でしたが、先日ついに訪れる機会に恵まれました。ちょっと豊田市に出向く事があり、その序でに、東海道線興津駅で途中下車して立ち寄る事にしたのです。
残念な事に、清見潟は埋め立てられ、今は埠頭になっていて、往事の面影は全く失われておりました。海岸線はコンクリートの高い岸壁と変じ、ゆったりとした海も、三保の浦も、見ることができません。
興津駅から、旧東海道、興津宿(国道1号線)を西へ1kmほど歩くと、右側の高台に清見寺があります。ここから三保の松原が望めるかも知れない、と行ってみましたが、埠頭施設や大きな貨物船に遮られて、お寺の境内からも見渡せません。ならば本堂の裏山からならどうかしら? と登ってみたら、本来見られた筈の、ほんの一部の三保の松原が姿を現しました。一枚目の写真がそれです。


角度を変えて


清見寺本堂


清見ヶ関跡



清見寺下の、海を埋め立てた地にある清見潟公園の片隅に、忘れられたように万葉歌碑が建っていました。実はこの歌碑を見つけるのが大変でした。駅前の観光案内地図に「万葉歌碑」の表示があったので、是非見なくっちゃ、と探し回って、お店の人に尋ねても全く違うものだったり、散歩中の人に聞いても『万葉歌碑なんてこの辺にあったっけ?』と首を傾げられたり。歩き回った末に出あった、公園の草むしり中の老人会のメンバーと思しきお一人の『消防署の隣りにあるら〜』という情報が正しかったのですが、消防署、それは小さな消防団の小屋でした(^^♪ その隣りの、空き地のような駐車場のような一角に、ひっそりと歌碑がたっているのでした。町の人にもあまり知られていない立派な万葉歌碑・・・



三保の浦から興津方面



初めて三保の松原へも行ってみました。運よく快晴で、美しい富士山の雄姿を仰ぐことが出来ました。


 羽衣の松          三保の浦から伊豆方面     三保の松原     
  



次の日の三保の松原



興津名物?たい焼。皮はぱりっと、餡がたっぷりで美味しかったです♪